2024/12/10
縁(えん)ちゃんのひとり言 ~今年の重大ニュースと川崎市の市制100周年について~2024.12月号
皆さん、こんにちは『縁ちゃん』ことメテックス建築事務所 遠藤です。
近年各所で起こった自然災害で被災された方々にお見舞い申し上げますとともに、被災地の一日も早い復旧、復興を心よりお祈り申し上げます。
早いものであの元旦の能登半島地震、1/2のJAL機炎上と波乱の幕開けとなった2024年もあと少しで終わろうとしています。1年は本当に早いですね、1日24時間、1年365日はみんな同じはずなのに歳を取るとどんどん早くなりますね(笑)
私にとって今年の重大ニュースは、プライベートでは、清水エスパルスJ1昇格、はじめて浅草の「三社祭」で神輿(みこし)を担がせて頂いた事、そして母が他界した事ですかね。神輿祭りの最高峰といわれる三社祭は先輩のご厚意で法被をお借りして参加させて頂きました。いろんなルールやご法度があり凄く勉強になりました。なぜ江戸っ子があのお祭りに夢中になるのかを少しだけ分かった気がしました。「えっさー、よいさー」と掛け声が始まり老若男女関係なく揃いの法被で練り歩きます。「担(かつ)ぐには前から入るんだ、前から心太(ところてん)だよぉ~!」とか「本社が本番だからよぉ~!」と初めての私には何を言っているのかさっぱり分からず少しストレスでしたが、とにかく凄い盛上りでした。神輿好きな方にはなるほどという話だと思いますが・・・。ただ一番盛上る2日目に神輿に入る時に腰を痛めてしまい、その後4ヶ月治療院に通う事になってしまいました(笑)神輿の一番前を「花棒」といいますが、やっぱり写真映えするあそこをみんな担ぎたいんですね。その為に喧嘩が起こってしまうこともあるそうです。正直なところ、慣れないとタイミング良く棒にたかるのはなかなか難しいなぁと実感しました^^;
母の最期の見送りについては以前にも書きましたが、私は若い頃に母とは確執もあり何となくウマの合わない感じの母でした。今の義父と再婚した20歳の頃から一緒に住んでいなかったので、亡くなってどうなのかな・・・と、この約8カ月間を冷静に考えていた自分がおりました。妹を亡くした時もそうでしたが、日増しにじわりじわり寂しさが募り、もっとこうしておけば良かったとか、こんな話を聞いておけば良かったとか、やっぱり血縁って凄いなと改めて思い知らされています。「この母(かあ)ちゃんから産まれてきたっていうのはそういう事なんだな」と、この歳をしてやっと分かった気がします。「孝行のしたい時分に親はなし」とか「親孝行したいときには親はなし」なんていいますが、今しみじみ感じております・・・ハイッm(__)m
いろんな方にご厚情を賜(たまわ)りましたが、やはり私の人生で一番といっても過言でない悲しい出来事の時に肩を叩いて「お袋さん大変だったな」と言って頂いた方の事は一生忘れないですね。葬儀、通夜への弔問、香典とかそういう話ではありません。でもあの一番辛い時に情けをかけて頂いた方は特別で、一生忘れないですね。高1の時に他界した父の時もそうでしたが、親を見送るってそういう事なんですよね。
葬儀会場は山梨県でしたが、遠く弔問して頂いた方の中には「えっ!この人が?」という方の顔を見た時には、本当にこみあげるものがありました。今までの自分の人様とのお付合いのさせて頂き方や、いろんな方の人間模様がハッキリ見えた感じがしました。人の気持ちとか、為人(ひととなり)ってこういう時に分かるんだなぁ~と本当に思いましたし、私の残りの人生でもちゃんとお返し出来るよう「義理人情はかかさない!」と改めて強く思いました。
先日、私を育てて頂いた師匠(親方)から「喪中返し」が届きました。すぐにお礼に行かせて頂きました。久々の親方との再会でしたので少しばかりの緊張と照れがありましたが、開口一番「バカ野郎、なんで言わなかったんだよぉ、喪中はがきが来るまで全然知らなかったじゃないか!」と。さすが私に義理人情を叩きこんで頂いた親方だけに、その言葉の真意も理解しましたし、言葉数は少なかったですが凄く嬉しかったですね。
建築板金のバリバリの現場職人の仕事をしていた文句ったれのどうしょうもない弟子が、手に職までつけて頂き、ある時急に建築士を目指して好き勝手に工務店を始め、この異端児は本当なら罰当たりな人間のはずなのに、親(親方・師匠)というのは有難いですね。「本当頑張っているな!」「そんなに褒めてくれるのは親方のとこだけだよぉ、誰も褒めてくんないもん」と昔に戻ったように話しました(笑)
段々年老いていく親方ご夫妻を見て、今まで本当にお世話になり「もっともっと感謝して大切にしないとなぁ~」と改めて反省を致しました。
母と絶縁状態になっていた22歳の時に「飯(めし)はこっちで準備するからちょっとバイトに来ないか?」が入門のきっかけでした。当時は母の事でふてくさって悪口ばっかり言っていました。仕事も月に6日くらいしか出勤しなくて、前借り前借り状態で、いつクビになってもおかしくありませんでした。
毎日のように寝坊して、毎日兄弟子に怒られていました。でも親方は寝坊した日に限って一杯行くかぁ?なんてよく誘ってくれました。そんなある日、「良二なっ、いろいろあるけど血の繋がりってそんなもんじゃないと思うぜ。自分が悪口言うならいいけど、他人にお袋さんの悪口言われたら腹が立たないか?」と教えて頂きました。当時確かにそうだなぁと思ったのを思い出しました。
久しぶりに親方に会って、なんか昔の事を思い出してしまって・・・。今月はついつい書いてしまいました(^^;
母の最期の見送りについては以前にも書きましたが、私は若い頃に母とは確執もあり何となくウマの合わない感じの母でした。今の義父と再婚した20歳の頃から一緒に住んでいなかったので、亡くなってどうなのかな・・・と、この約8カ月間を冷静に考えていた自分がおりました。妹を亡くした時もそうでしたが、日増しにじわりじわり寂しさが募り、もっとこうしておけば良かったとか、こんな話を聞いておけば良かったとか、やっぱり血縁って凄いなと改めて思い知らされています。「この母(かあ)ちゃんから産まれてきたっていうのはそういう事なんだな」と、この歳をしてやっと分かった気がします。「孝行のしたい時分に親はなし」とか「親孝行したいときには親はなし」なんていいますが、今しみじみ感じております・・・ハイッm(__)m
いろんな方にご厚情を賜(たまわ)りましたが、やはり私の人生で一番といっても過言でない悲しい出来事の時に肩を叩いて「お袋さん大変だったな」と言って頂いた方の事は一生忘れないですね。葬儀、通夜への弔問、香典とかそういう話ではありません。でもあの一番辛い時に情けをかけて頂いた方は特別で、一生忘れないですね。高1の時に他界した父の時もそうでしたが、親を見送るってそういう事なんですよね。
葬儀会場は山梨県でしたが、遠く弔問して頂いた方の中には「えっ!この人が?」という方の顔を見た時には、本当にこみあげるものがありました。今までの自分の人様とのお付合いのさせて頂き方や、いろんな方の人間模様がハッキリ見えた感じがしました。人の気持ちとか、為人(ひととなり)ってこういう時に分かるんだなぁ~と本当に思いましたし、私の残りの人生でもちゃんとお返し出来るよう「義理人情はかかさない!」と改めて強く思いました。
先日、私を育てて頂いた師匠(親方)から「喪中返し」が届きました。すぐにお礼に行かせて頂きました。久々の親方との再会でしたので少しばかりの緊張と照れがありましたが、開口一番「バカ野郎、なんで言わなかったんだよぉ、喪中はがきが来るまで全然知らなかったじゃないか!」と。さすが私に義理人情を叩きこんで頂いた親方だけに、その言葉の真意も理解しましたし、言葉数は少なかったですが凄く嬉しかったですね。
建築板金のバリバリの現場職人の仕事をしていた文句ったれのどうしょうもない弟子が、手に職までつけて頂き、ある時急に建築士を目指して好き勝手に工務店を始め、この異端児は本当なら罰当たりな人間のはずなのに、親(親方・師匠)というのは有難いですね。「本当頑張っているな!」「そんなに褒めてくれるのは親方のとこだけだよぉ、誰も褒めてくんないもん」と昔に戻ったように話しました(笑)
段々年老いていく親方ご夫妻を見て、今まで本当にお世話になり「もっともっと感謝して大切にしないとなぁ~」と改めて反省を致しました。
母と絶縁状態になっていた22歳の時に「飯(めし)はこっちで準備するからちょっとバイトに来ないか?」が入門のきっかけでした。当時は母の事でふてくさって悪口ばっかり言っていました。仕事も月に6日くらいしか出勤しなくて、前借り前借り状態で、いつクビになってもおかしくありませんでした。
毎日のように寝坊して、毎日兄弟子に怒られていました。でも親方は寝坊した日に限って一杯行くかぁ?なんてよく誘ってくれました。そんなある日、「良二なっ、いろいろあるけど血の繋がりってそんなもんじゃないと思うぜ。自分が悪口言うならいいけど、他人にお袋さんの悪口言われたら腹が立たないか?」と教えて頂きました。当時確かにそうだなぁと思ったのを思い出しました。
久しぶりに親方に会って、なんか昔の事を思い出してしまって・・・。今月はついつい書いてしまいました(^^;
母が他界して思いましたが、人生なんて不運だと思っていたらそれが幸運につながったり、またその逆もだったりと、つまり「人間万事塞翁が馬(にんげん(じんかん)ばんじさいおうがうま)」なんですね。
結びに、実は今年、お正月から書きたい題材がひとつありました。それは『川崎市』が市制100周年という事です。私にとって川崎市は第二の故郷みたいなところで、ちょっと知ったかぶっていろいろ書いちゃおうかなぁなんて思っておりました・・・(笑)
今や川崎は凄く綺麗な街で、川崎ほど「ストリート文化カルチャー」を受け入れてくれている街はないといわれるほど若者に優しい街に変身しました。
私がまだ小学生の頃は、川崎は非常にディープな街で、お世辞にも綺麗といえる街ではありませんでした。まだ国鉄だった駅は汚いし、とにかくおじさんが多い街でした。高度経済成長真っ只中の京浜工業地帯の中心地ですから無理もありませんが。なんか最近コンビニとかで流行っている「ニュータンタンメン」は昔からありましたが、親戚の叔父たちは「くまごろう」というラーメン屋によく連れて行ってくれました。現存しますが、札幌ラーメンのお店なのに「焼きそば」が美味い!(笑)。閉店で今や伝説になってしまったローストビーフの名店「ペッパー」の事、従兄弟がチーフを務めるステーキ「あさひや」とか、こんな風に私なりの川崎をご紹介したかったのですが、また書きたいと思います。取り急ぎ年を越すと101周年になってしまいますので、ちょっとだけご紹介しました。
今月はここまでです。少し早いですが皆さん良いお年をお迎え下さい。
最後にお得な情報を・・・
今月は今年最後ですので『東京駅でスイーツ手土産人気BEST3』をプレゼント致します。
3位SOBAPいろんな種類がありますが人気の「塩キャラメルカマンベール」を含めたもの2位PARIS BUTTER CHOCOLAT「パリバターショコラ(芳醇なバターを使用したラングドシャ)」*入荷前に長蛇の列
1位 fruits peaks「フルーツズコット(スポンジケーキの中にフルーツなどが詰まったドーム型ケーキ)」*厳選したフルーツを使用
行列必須のスイーツですからこの中で買えたものを5名の方にプレゼントします、ふるってご応募下さい。事務所へ直接お電話かホームページのお問合せフォームに住所、氏名、TEL番号、メールアドレスを記載し『東京駅でスイーツ手土産人気BEST3』希望と記載してお申し込み下さい(^^)/ ご応募の締め切りは、毎月25日です。電話054-288-0033
*いま弊社ではアンケートをやっています。下記のQRコードからアンケートに入って頂き、このコラムの感想等を備考欄に記入して頂き、それをその先のグーグルの投稿にもコピーペーストして投稿して頂けますと抽選で同じAmazonギフトカードが当たります。最近は投稿が少ないのでかなりの確率で当たっております、良かったらご協力お願い致します(笑)
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(株)メテックス建築事務所 遠藤良二