縁ちゃんコラム

enchan's column

2024/04/11

縁(えん)ちゃんのひとり言 ~台湾地震’24で感じた事と天才脳神経外科医 福島孝徳先生のご逝去~2024.4月号

皆さん、こんにちは『縁ちゃん』ことメテックス建築事務所 遠藤です。

能登半島地震の傷もまだ癒(い)えない4/3に隣国の台湾東部沖を震源とするマグニチュード7.7の大地震が起きました。震源に近い花蓮県では震度6強を観測したそうです。

ところで皆さんは、この台湾の地震をどう思ったでしょうか?「へえ~台湾で地震があったんだぁ」と対岸の火事だったのか、それともすぐに何か手助けしないとと思ったでしょうか?台湾は親日で知られていますが、2011年の東日本大震災の時はどこの国よりも早く「日本が大変な事になっている」と約200億円もの義援金を送って頂きました。台湾は日本の1/5くらいの人口の国なのにあれだけの義援金を送って頂いたわけです。

今年の元旦の能登半島地震では市民からの寄付金が25億円以上も集まり、寄付だけでなく被災の次の日には慈善団体の炊き出しや、医療ボランティア、救助隊の派遣の申し出もありました。死者も出た地震をこんないい方するのは不謹慎かも知れませんが、私は今回の地震で、台湾という国がいかに素晴らしい国か再認識した気が致しました。あの地震の後に「すぐに何か対応しないと!」といわれても私自身何も出来なかったからです。しかし台湾にはして頂いたんです。日本も何もしていないわけではありませんが、この迅速さには頭が下がります。花蓮市では地震発生後3~4時間後にはもうすでに指定避難所の体育館にプライバシーを守る個室スペースのパーテーションが設置がされていたそうで、エアコンも完備され、マッサージも受けれるそうです。室内を嫌う人には外にテントも設営され、トイレ、シャワー等の被災者支援も迅速に行われていたとワイドショーで観ました。日本の避難場所とかなり違うなぁと思いましたが、台湾の方々はこれも日本人に教えて頂いたといっているそうです。ベースは日本かも知れませんが、きっと目標のゴール到達点が違うんだと思います。有事の際には、少しでもストレスなく避難生活を送って頂くという国の考え方で、その為に日頃から官民の連携が上手くいくように努めているんだと思いました。政治的な事はよく分かりませんが、本当に素晴らしいと思いました!

この縁ちゃんのひとり言は亡くなった方の話題が多いね!と言われた事があります。実は今月もどうしてもお悔やみを述べたい方がおります。「神の手を持つ男」と呼ばれた脳神経外科医の『福島孝徳』先生です。皆さんもTVで何回も取り上げられていましたのでご存知の方も多いと思いますが、3/19に拠点のアメリカで81歳でご逝去されました。

先生は脳腫瘍をはじめとする天才脳神経外科医なんですが、実は私の親友は25年くらい前に執刀して助けて頂きました。当時も常に300人の患者が待っていると状況でした。

ある日「良二、私病気になっちゃったよ~」とTELが入りました。「どうした?」「実は脳なんだよね・・・」「おい、間違っても脳腫瘍なんて言うなよぉ~」「実は脳腫瘍で、場所が悪いらしいんだよね・・・」と言われました。「場所が悪いって脳幹じゃないよな」「あんたよく脳幹なんて知ってるね、実はその脳幹なんだよぉ~」とそんな会話でした。その時絶望感から一瞬、頭が真っ白になったのを思い出します。脳幹は脳の中の脳と呼ばれるところで中枢神経が集まり、体温調節・意識・呼吸・循環を調節する生命維持に関わる最重要な部分といわれているからです。もうすでに右の耳は聞こえていないと。30歳代前半の事でした。親友は実は高校の同級生で女性なんですが、私はご主人とも凄く仲が良くて今でも時々会います。

以前から医療系の番組が大好きで、録画をして保存したりしていました。特に好きだったのがテレビ東京の「主治医が見つかる診療所」という番組でした。「福島先生って知ってるか?」と聞くと「あんた何で福島先生知ってるの~、実はその福島先生に執刀してもらえる事になったんだよぉ~」と言われました。暗闇に一筋の光なんて言いますが、まさにそんな感じでした。

その2か月後に執刀して頂くわけですが、場所は福島県郡山市の「南東北病院」でした。考えたくありませんが、もしかしたら今生の別れになるかも知れないと思ったら居ても立っても居られず郡山市までお見舞いに行きました。

「なぜ福島先生に執刀して頂けたのか?」ですが、ずばり福島先生にしか出来ない難手術だったからです。後にテレビを観ましたが、本当に難解な手術で出血も多く先生の顔つきが変わったのも分かりました。2日間に渡って手術は行われましたが、2日目にご主人から「良二、先生が粘膜一枚残してあとは全部取ったから、もう大丈夫だ!」って言ってもらったよと連絡が入りました。しばらく涙が止まりませんでした。

テレビやYouTubeを観ると手術後の家族への経過報告で「先生、ありがとうございます!」「先生、ありがとうございます!」と不安と絶望の日々を過ごしてきた家族が安堵の表情をして、患者さんと家族にようやく笑顔が戻ったというシーンが出てきますが本当に感動します。皆さんも一度YouTube等で是非観てみて下さい。

福島先生は明治神宮の宮司の次男として生まれ後に東京大学医学部に入ります。37歳で三井記念病院の脳外科部長に就任しますが、出る杭は打たれるという日本の医学界への不信感と論文と人脈のみを重要視する日本医学界の古くさい慣習を見切って1990年に渡米します。そこから先生の365日休まない、生涯27、000症例が始まります。先生を有名にしたのは何といっても『鍵穴手術』といって500円玉程度の穴を開け、そこからアプローチして脳の手術をするというものでした。「血一滴 金一グラム」といって患者さんの負担を考えると出血は一滴でも少ない方がいいという意味らしいですが、時には1円玉程度の1cmの穴で進める事もあったそうです。超難しい手術が専門で、年間600件もの手術をこなし、1日で5~6件行う事もよくあったそうですが、その成功率は99.5%だったそうです。脳の手術をする場合、足にもペダルが4つくらいあるらしく、その為手術の間はずっと片足で立っているようなものらしいんです。先生は若い頃に手術が終わると紙粘土を固めて人間の頭に見立てた模型を作り、そこに¥500-玉程度の穴を開け、顕微鏡を使って何回も何回も縫合の練習をしていたそうです、それこそが福島先生が世界最高の脳外科といわせた「鍵穴手術」の練習だったんです。しかも足元は片足立で、片足でも手元の正確性は変わらないまで何回も何回も練習したそうです。

先生の原点は子供の頃お母さんに折って頂いた折り紙だったそうです。患者さんの目の前で鶴ならぬ亀を折っているのをYouTubeで観た事がありますが、さすがに手先が器用でそれはそれは綺麗に折ってありました(笑)

手術が終わって帰るとどんなに疲れていても今日やった症例を一人一人思い出しながら手術の本を書いていたそうです。「今日は最高に良かった!」「あっちをもっと攻めれば良かった」と。この作業は研修医時代から一日も欠かした事がなかったそうです。

天才と呼ばれる福島先生ですが、その影に人知れぬ凄い努力があったんですね。

神の手と呼ばれた医師が、助けられなかった患者のために神様に祈っていた事もあったそうです…だけど彼のような人間を日本の医学界は嫉妬から潰しにかかると聞いた事があります。どこ見て仕事してんだ?「すべては患者さんのために」と「人の2倍働く3倍努力する」といい続けて1mmの世界で連戦連勝し続け、世界中の患者から絶大な支持を受け、アメリカの医療関係者から神の手を持つ男、The Last Hope(最後の希望)と絶賛されたその医師は日本の誇りだと思います。

国民栄誉賞を贈るべきだと思います。王さんの868本のホームランに匹敵するのでは。

謹んでお悔やみ申し上げます。今月はここまでです、皆さんお身体ご自愛下さい。

最後にお得な情報をひとつ・・・最近私の周りの方からあんこのお菓子を頂きます。特に美味しかったのがどら焼きです。焼津の「光月堂」、富士の「わかつき」、沼津の「つぐみ」さんです。今月は『どら焼き食べ比べセット』を5名の方にプレゼント致します、ふるってご応募下さい。事務所へ直接お電話かホームページのお問合せフォームに住所、氏名、TEL番号、メールアドレスを記載し『どら焼き食べ比べセット』希望と記載してお申し込み下さい。ご応募の締め切りは、毎月25日です。電話054-288-0033 

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