縁ちゃんコラム

enchan's column

2021/09/10

縁(えん)ちゃんのひとり言~感謝ARIGATOとやっぱり感動した東京パラリンピック~

皆さん、こんにちは『縁ちゃん』ことメテックス建築事務所 遠藤です。

近年各所で起こった自然災害で被災された方々にお見舞い申し上げますとともに、被災地の一日も早い復旧、復興を心よりお祈り申し上げます。

9/5のパラリンピック閉会式を終え東京2020オリンピック・パラリンピックが閉幕しました。終わってみると何かあっけなく、もの悲しい感じがします。その昔、東京でオリンピックが開催されたのは歴史として知っていますが、実際にリアルタイムで観る事が出来たのは感慨深いものがありますね。

TVのスポーツニュース等で東京2020関連の場面になると「♪~栄光に満ちた孤独なHERO~♫」と流れていた『桑田佳祐SMILE~晴れ渡る空のように~』の冒頭の歌詞にもありますが、「♪~長きこの地球の 歴史の一幕に 立ち会う事を 奇跡と呼ぶのだろう~♫」、本当にこの時代に生きていて良かったなぁと思いました。TVのCMもオリンピックバージョンからパラリンピックバージョンになり大会の雰囲気や盛上がりを後押ししていました。プロが作っているとはいえ、大手メーカーのCMって本当にかっこいいですよねっ!

パラリンピックは我々静岡県人にとって嬉しいニュースがたくさん入って来ました。

『開催早々の金メダルはめちゃくちゃ嬉しかった競泳の鈴木孝幸選手

『直線でのデッドヒートを繰り広げた差し足抜群の車いす陸上の佐藤友祈選手

『「あっ、また言ったぁ50歳!って~」とめちゃくちゃ明るく笑顔が本当に素敵だった最年長金メダル記録を作った、自転車ロードの杉浦佳子選手

そして『「ビッタビタッ!」のスーパーショット後の雄叫びが忘れられない、ボッチャの杉村英孝選手』等々。静岡県人の活躍は本当に誇らしく嬉しかったですっ(*^^)v

その他、車いすのラグビーやバスケットボールは障害者競技とは思えないほど迫力がありました。特にラグビーにはたった一人女性選手がいて、倉橋香衣という選手ですが、あの大男達を華奢(きゃしゃ)な倉橋選手が車いすでタックルをして転かすシーンは痛快でしたね、本当に面白かったです!!

パラリンピックはやはりオリンピックとは違い、観ているこちらも正直なところ真っすぐに観れない部分もありました。表現が不適当であれば先にお詫びさせて頂きますが、子供のように正直に思った事を書かせて頂きます。

手が無いのにどうやって卓球をやるんだろう~、どうやって泳ぐんだろう~、どうやってアーチェリーをやるんだろう~?

目が見えないのにどうやってサッカーをやるんだろう~?って・・・。いろいろ素朴な疑問がありました。

そこに競技があるのですから頭では分かっているつもりですが、実際に観てみると、信じられない光景がありました。手が無くても泳げるし、アーチェリーもやれていました。そこで涙が出るのはもしかしたら障害者の方に対する偏見になってしまうのかも知れませんが、そのスポーツが競技として成り立っているだけで涙が止まらなくなってしまう場面がいくつもありました。

特にエジプトの卓球のイブラヒム・エルフセイニ・ハマドゥー選手は両手が無く、口にラケットをくわえ、足でボールをトスするというサーブをして見事に競技をしていました。一瞬ショッキングな映像に思えましたが、その裏に隠された努力や苦悩、そして偏見や誤解があったかと想像すると何ともいえない気持ちになりました。何度も言いますが、そこに競技があるので頭では分かっているのですが・・・。

パラリンピックはイギリスが発祥といわれていますが、1948年「パラリンピックの父」と呼ばれるルードウィッヒ・グットマン博士がストーク・マンデビル病院で戦争で脊髄を損傷した兵士達のリハビリとして開催したアーチェリー大会が起源だそうです。その後国際大会として発展していき1960年に第1回大会がローマで行われました。実は「パラリンピック」という名前を使い始めたのは1964年の第2回 東京大会からだそうです。つまり前回の東京オリンピックの時なんですね!!私もTVで見て初めて知りましたがビックリしました。東京大会の出場選手は脊髄損傷の下半身まひの選手のみだったらしく、パラリンピックの『パラ』は下半身まひを意味する「Paraplegia(パラプレジア)」から取ったものだそうです。その後は他の障害者にも参加資格を拡大して、1985年には「Parallel(パラレル)」=もう一つのオリンピックという事が決まり、1988年の第8回 ソウル大会から正式名称になったそうです。

今回の金メダル数ですが、オリンピックが340個に対しパラリンピックは539個で圧倒的にパラリンピックの方が多いんです。これは障害の種類と程度によって、公平な競技とする為の物差しの数なのかも知れませんね。

障害者人口の割合は、日本では約8%、世界では約15%になっているそうです。生まれながらの先天性の方もいらっしゃれば、健常者から事故や病気で障害者になられた方等々様々だと思います。

今大会の選手には2005年4月のJR福知山線脱線事故で頸椎損傷という大けがをし、首から下にまひが残る岡崎愛子さんというアーチェリーの選手が出場していました。事故当時は大学2年生だったそうです。母の勧めで始めた競技だそうですが、大学生という青春真っ只中の、ある日突然に障害を抱える事になったのは本当に考えさせられます。

苦労してパラリアンになった事を美談で済ますのは何か軽い気がします。生半可な精神力では挫折してしまいます、もし自分がそうなったら正直頑張れる自信はありません。

競泳のレジェンドに成田真由美さんという選手がいます。彼女はインタビューで「自分の人生に障害を与えてもらって・・・」と言っていました。ちゃんと受け止めて、生きていく為には下を向いていてもしょうがないよねっ!という表情をしていました。

いろいろな選手を観させて頂き、いろんな方の人生を学ばさせて頂きました。

パラリンピックの父 ルードウィッヒ・グットマン博士も「失ったものを数えるな 残されたものを最大限に生かせ」と言っています。

私の周りにも障害者の方が多数います。自分の母をはじめ、親戚、友人、お客様等々と決して珍しくありません。私の生まれ育った部落には、知的障害の特別学級と大人の施設もあり小さい頃からそういう人達を見ていました。母は大人の施設の方で指導員として勤め、幼少の頃はいろいろな話を聞かせてくれました。その中には「あの子達は本当に純粋なんだよ」とか「走らせると凄く早い生徒がいるんだよ!」と。今回のパラリンピックを通し幼少時に母から聞いた話を思い出し、ちょっと温ったかくなった自分がいました(^^;

結びに、ドイツにマルクス・レーム選手という走り幅跳びの義足のジャンパーがいます。なんと彼は8m48cmという記録を持つ「パラリアンがオリンピアンを超えた!」つまりオリンピックの選手より飛んでしまう選手なんです、何とも痛快ですよね!オリ・パラ両方でメダルか?!と期待が高まりました。オリンピックの選考会では優勝したのに、義足が有利に働いたのでは・・・とオリンピックの出場は叶いませんでした。でも義足を履けば誰でも飛べるわけじゃなのに、その陰の努力が無視されたようで凄く残念です。

こんなパラリアンの活躍から「義肢装具士」という国家試験がいま若者に注目され、凄く人気があるそうです。次回のパリ大会も今から楽しみになってきました。

今月はここまでです。季節の変わり目です、皆さんお身体ご自愛下さい。

最後にお得な情報をひとつ・・・

先月はたくさんの方に梨の応募をして頂きありがとうございました。今年は暖かかったせいで出荷が約2週間早くなってしまった為、幸水が終わってしまい豊水を送らせて頂きました。今月は2年前の9月に入手困難で手に入らなかった北海道深川市の『洋菓子工房北いち輪(【旧店名】洋菓子工房年輪舎)のバウムクーヘン』を5名の方にプレゼント致します、ふるってご応募下さい。事務所へ直接お電話かホームページのお問合せフォームに住所、氏名、TEL番号、メールアドレスを記載し『バウムクーヘン 希望』と記載してお申し込み下さい。ご応募の締め切りは、毎月25日です。電話054-288-0033 

会社でブログをアップしています。コメントとか頂けると嬉しいです(^^)/

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